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よくわかるエレベーターと建物のこと

エレベーターカタログからみる
世相の移り変わり(第1回)

11月10日はエレベーターの日。1890年11月10日に完成した浅草凌雲閣(通称浅草十二階)に電動エレベーターが設置されたことにちなむものです。今回は過去の世相を振り返る企画として、昇降機事業を開始して56年になる東芝のエレベーターカタログを通して、当時の社会情勢を読み解きます。第1回は、事業開始の1966年から80年代までの昔懐かしいカタログを紹介します。

高度経済成長時代まっただなかにスタートした東芝の昇降機事業

当時のトレンド、幾何学デザインを採用

 グループサウンズブームが始まり、ビートルズの来日が話題を呼んだ1966年、日本は高度経済成長のまっただなかでした。世間がいざなぎ景気に沸くなかで都市基盤整備も進み、街にはビルが次々と建てられていきます。東芝は、こうした時代背景のなかで昇降機事業を開始しました。
 1970年の大阪万博を前に、デザインを重視した商業建築も増えてきました。ポップアートと呼ばれるジャンルが花開いたのもこの時代です。
 グラフィックデザイン界では、田中一光さんをはじめとして多くのデザイナーが腕を競っていましたが、こうしたなかで制作された東芝エレベータ初代モデルのカタログ表紙は、グラデーションで動きをイメージさせる幾何学的なデザインが採用されています。一方、寝台用エレベーターのカタログ表紙は、昇降を直接的に表現する矢印が並ぶシンプルなデザイン。いずれも時流に乗ったデザインとなっています。

東芝標準形エレベータ(初期デザイン)
東芝寝台用エレベータ(初期デザイン)

色鮮やかな装いの働く女性が表紙を飾る

 一方、人物が登場するエレベーターカタログの表紙からは、当時のファッション事情を振り返ることができます。
 1967年10月にはミニスカートブームの火付け役となったツイッギーが来日、話題となりましたが、こうした出来事に象徴されるように、女性たちの装いは50年代までのクラシックスタイルから一変、カラフルでポップなデザインのファッションが街にあふれるようになりました。オフィスレディ(OL)という言葉が登場したのもこの頃で、女性たちは思い思いの服を着こなし、街に仕事にと出かけていきました。

東芝エレベータ(1967年)

70年代、ビル高層化が進むなかで重要性を増すエレベーター

憧れの集合住宅での暮らしがのぞく

 1971年は団塊ジュニア世代とも呼ばれる第二次ベビーブームが始まった年です。高度経済成長時代を終えて日本経済が落ち着きを見せはじめる一方、人口増加率は高い水準を維持していました。その結果、必要になったのが団地など共同住宅の高層化です。
 60年代までの共同住宅は、ほとんどがエレベーター設置義務のない5階建て以下でした。しかし70年代にはいると、人口増に対応するために次々と高層マンションが建てられるようになり、住宅用エレベーターの需要が伸びてきました。エレベーターが設置された高層マンションは、まさに新生活のシンボルともいえる存在です。
 1972年に発行された『東芝エレメイトR形住宅用エレベータ』のカタログ表紙を飾るのは、高層マンションの前に立つ白いドレス姿の女性で、まさに「新しい生活」を期待させるイメージとなっています。
 エレベーターのカタログからは、当時の習い事事情も振り返ることができます。習い事が一般的になりましたが、なかでも常に上位ランキングに入っていたのがピアノで、カタログにも「アプライトピアノもラクラク運べる」がセールスポイントとして挙げられています。

東芝エレメイトR形住宅用エレベータ(1972年)

高速化や豊富な意匠など選択肢が増える

 その一方、オフィスビルには超高層の波が押し寄せてきました。日本初の超高層ビルとなった霞が関ビル(1968年竣工)を皮切りに、新宿三井ビル(1974年竣工)をはじめとした西新宿の高層ビル群やサンシャイン60(1978年竣工)など、超高層ビルが次々と建てられ、東芝も多くのエレベーターを納入しました。
 ビルの超高層化に伴って必要となるのがエレベーターの高速化です。東芝は1973年に分速240mの高速エレベーターを開発しました。『東芝エレメイト乗用・規格形』のカタログ表紙には、速いエレベーターをイメージさせる「ストップウォッチ」が使われています。
 エレベーターの高速化はさらに進み、サンシャイン60には分速360mの東芝製高速エレベーターが納入されました。
 高速化とともに、エレベーター納入先もオフィス、ホテル、商業施設など多岐にわたるようになり、デザインにも多様性が求められるようになってきました。1977年に発行した『東芝エレメイトP規格形乗用エレベータ』カタログでは、オフィスビルにぴったりのスッキリした「オリオン」、全面アクリル照明がかご室を豪華に演出する「スワン」など、星座をイメージしたデザインバリエーションが展開されています。

東芝エレメイト 乗用・規格形(1973年)
東芝エレメイトP規格形乗用エレベータ(1977年)
東芝エレメイトP規格形乗用エレベータ(1977年)

マイコン制御などの新技術登場でカタログデザインも大きく変化

最新技術をデザインでも訴求

 1979年発行『東芝エレメイトP規格形乗用エレベーターCerebellum』のカタログ表紙には複雑な図形パターンが採用されていますが、これはコンピューターに使われるLSIチップの拡大画像を加工したものです。
 1974年には、現在のパソコンにも使われているCPUの遠い祖先にあたるインテル社の8080が発表され、1976年にはザイログ社からZ80がリリース。80年代に入るとゲーム制作会社が次々と設立され、秋葉原にはホビーパソコン目当てのマイコン少年たちが集まる一大ブームが起きました。
 当時のCPUは8ビットが主でしたが、ホビーパソコンだけではなく、家電製品のコントロールにも広く使われ、機器制御のありかたを一変させました。エレベーターカタログの表紙も「マイコン制御」を強く打ち出すデザインとなっています。東芝では「エレメイトセレブラム」などのマイコン制御エレベーターのほか、1977年にはエレベーター群管理システムにマイコン制御を採用した「Commandシリーズ」も発売しています。

東芝エレメイトP規格形乗用エレベーターCerebellum(1979年)
東芝エレメイトP規格形乗用エレベーター New Cerebellum(1982年)

「省エネ」意識が高まる世相を反映

 もう一つの大きな技術革新が、世界初となる1983年のインバーター制御高速ギヤレスエレベーターの発売です。インバーター制御は電力の周波数と電圧を制御する技術なのですが、モーター回転速度のコントロールが容易になるため、エレベーターの乗り心地は格段によくなり、エネルギー効率も大幅に向上します。
 80年代の日本は、二度のオイルショックの経験から「省エネ」に対する意識が高まってきていました。さらに、1985年にはオーストリアで地球温暖化に関する初の世界会議も開かれ、二酸化炭素排出に関する問題が大きく取り上げられました。原油価格上昇と地球温暖化という2つの側面から省エネが求められるようになった時代でした。
 こうしたなか、1985年に発行された住宅向けエレベーター『東芝インバーターエレベーター規格形住宅用エレメイトR CerebellumVF』では、カタログ表紙には子どもと小鳥というかわいい組み合わせが採用されました。インバーター制御によって実現した「乗り心地の向上」と「省エネ」の2つを前面に打ち出したデザインなのですが、こうした時代背景が感じられます。
 時代によって変化するエレベーターカタログのデザインやセールスポイント。今回は80年代までの流れについて、大きく3つの時代に分けて紹介しましたが、当時の空気が感じられたでしょうか。
 次回は90年代以降のカタログを中心に、また違った視点でエレベーターカタログを振り返ってみたいと思います。

東芝インバーターエレベーター規格形住宅用エレメイトR CerebellumVF(1985年)

次回は「エレベーターカタログからみる世相の移り変わり(第2回)」です。