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よくわかるエレベーターと建物のこと

エレベーターカタログからみる
世相の移り変わり(第2回)

1966年に東芝が昇降機事業を開始してから作られてきた多くのカタログ。前回は80年代までのカタログをもとに当時の世相を読み解きましたが、今回は90年代以降のカタログを80年代以前と比較しながら、世相やファッションなどの移り変わりをみていきます。

90年代以降、エレベーターカタログを取り巻く環境は大きく変化

カタログ制作環境に登場したDTP

 1970年代後半から急速に進んだコンピューター技術は、印刷物や書籍の制作環境を大きく変えました。
 テキスト処理では1978年に東芝が日本初のワードプロセッサ「JW-10」を発表しましたが、その後80年代に入ると多くのメーカーが日本語ワープロ市場に参入。文書作成は一気に身近なものになりました。画像取込についても、エプソンが1986年に一般向けイメージスキャナ「GT-3000」を発売するなど低価格化が進みました。1987年にはAppleからカラー表示が可能な「Macintosh II」も発売され、パソコン上で文書や画像を処理する環境が整ってきました。こうしたなか、米アルダス社長、ポール・ブレイナードが提唱した概念がDTP(Desk Top Publishing)です。DTP技術が進むことで、1990年頃にはそれまで多くの工程が必要だった出版物の制作がパソコン1台で可能になり、複雑なレイアウトの印刷物が低コストで制作できるようになりました。
 制作環境の変化を受け、東芝エレベータのカタログもレイアウトが大きく変わりました。『東芝エレメイトP規格形乗用エレベーターCelebellumⅢ』(1984年)と『東芝マシンルームレスエレベーター スペーセルGRⅡ/オーダースペーセルGRⅡ』(2016年)のカタログレイアウトを比較すると、テキストや図版が自由にレイアウトできるようになったことで、多くの情報を見やすく整理できるようになったことがわかります。

80年代以前と90年代以降のレイアウト比較。上が東芝エレメイトP規格形乗用エレベーターCerebellumⅢ(1984年)、下が東芝マシンルームレスエレベーター スペーセルGRⅡ/オーダースペーセルGRⅡ(2016年)。
80年代以前と90年代以降のレイアウト比較。
上が東芝エレメイトP規格形乗用エレベーターCerebellumⅢ(1984年)、下が東芝マシンルームレスエレベーター スペーセルGRⅡ/オーダースペーセルGRⅡ(2016年)。

エレベーター機能の高度化でカタログに求められる役割も大きく変化

 制作環境が変化する一方で、エレベーターそのものの機能も高度化が進みました。
 1990年代はバリアフリーや安全性能に対する意識が高まりを見せた時代でした。1994年9月に施行されたハートビル法(高齢者、身体障がい者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律)では、視聴覚障がい者が利用しやすいエレベーター、車いすで利用可能な駐車場などの基準が設けられており、認定を受ける企業が増えてきました。2006年、ハートビル法は交通バリアフリー法と統合され、バリアフリー新法が成立しましたが、こうした法律の下で、エレベーターには必要に応じてさまざまな機能が求められるようになりました。
 オプション設定される機能も増え、カタログに求められる役割も「利用イメージの紹介」から「詳細なオプション機能の解説」へと変化しました。機種選定にあたっても、『東芝エレメイトP型乗用エレベータ』(1971年)掲載の検討項目が定員と速度であったのに対し、『東芝マシンルームレスエレベーター スペーセルGRⅡ/オーダースペーセルGRⅡ』(2016年)では、多くのオプション機能が掲載されています。必要な機能を選ぶことがでよう、カタログでは個々のオプション機能の解説にページが割かれるようになりました。

機能一覧の比較。上がエレメイトP型(1971年)、下がスペーセルGRⅡ(2016年)。
機能一覧の比較。上がエレメイトP型(1971年)、下がスペーセルGRⅡ(2016年)。

エレベーターカタログに登場する女性ファッション

シャネル風スーツとミニスカートが紙面を飾る(~70年代前半)

 エレベーターカタログでは、女性モデルたちのファッションにも注目です。60年代後半から70年代前半までに登場するのはシャネル風のスーツを着こなす女性や、ツイッギーの来日でブームとなったミニスカートなど、今振り返ってみるとレトロなファッションです。しかし、当時はまさにこれが時代の最先端。同じく時代の先端を進むエレベーターとともにカタログ紙面を飾りました。

左から初代カタログ(1967年)、東芝エレメイトR形住宅用エレベータ(1972年)、東芝エレメイト乗用・規格形(1973年)に掲載。

女性の社会進出が進むなかでファッションも進化(70年代後半~80年代前半)

 70年代には女性の社会進出が進みましたが、この動きを後押ししたのがイヴ・サンローランのマニッシュスーツです。こうした流れに影響を受け、1977年の『エレメイトP規格形乗用エレベータ』カタログには、ネクタイにスーツ姿の働く女性が登場しています。当時はアコーディオンプリーツも流行。リゾートホテルではテニスウエアに身を包んだ女性がエレベーターを利用する姿も一般的になりました。

 80年代に入るとファッション雑誌『non-no』で取り上げられるような、チェック柄のトラッド系ワンピースに身を包んだ女性たちがカタログに登場します。70年代にはためらわれたベビーカーの外出も、80年代にはすっかり定着。エレベーターを利用してベビーカーで外出することも一般的になりました。

東芝エレメイトP規格形乗用エレベータ(1977年)に掲載。
左2つは東芝エレメイトP規格形乗用エレベーターCerebellumⅢ(1984年)、右は東芝エレメイトR規格形住宅用エレベーターNewCerebellum(1982年)に掲載。

バブル時代とアフターバブルの女性ファッション

 80年代後半になると、オーバーサイズでルーズなシルエットのソフトスーツが登場します。『東芝インバーターエレベーター規格形乗用エレメイトP CerebellumVF』(1985年)のカタログには、セルリアンブルーも色鮮やかなミューグレースタイルのスーツを着こなす女性の姿がありますが、まさに80年代中盤のイメージです。
 バブルまっさかりの90年のカタログに登場するのは、深紅の口紅にソバージュヘアの女性ですが、脇にかかえるブリーフケースが示すようにこれもバッチリきめたビジネススタイルです。当時は自立を意識した女性たちの間でショートヘアにボディコンスーツが流行。カタログには、ややおとなしめながら流行を意識したパステルカラーのスーツに、コサージュなど大きなアクセサリーを着けてオフィスで働く女性のイメージが採用されています。

 一方、アフターバブルの90年代半ばのファッションをみると、子育て世代では当時の「ニューファミリー像」が浮かび上がってきます。ビジネスシーンやちょっとしたお出かけでは、派手すぎないきちんとした装いのコンサバスーツが大活躍しました。

左は東芝インバーターエレベーター規格形乗用エレメイトP CerebellumVF(1985年)、右は東芝標準形エレベーターエレメイトルミナスLuminous P・HP(1990年)に掲載。
東芝標準形エレベーターエレメイトルミナスLuminous SQ(1990年)に掲載。
左は東芝標準形エレベーターエレメイトニュールミナス NewLuminous R・HR(1994年)、右は東芝標準形乗用エレベーターエレメイトニュールミナス2 NewLuminous P・HP(1996年)に掲載。

カタログの役割はイメージ紹介から機能紹介へ

 しかし、エレベーターカタログで人物モデルが活躍したのは90年代まで。2000年代に入り、カタログの役割が「利用イメージ紹介」から「機能紹介」に変わると、モデルの姿はカタログから姿を消していきました。
 『東芝マシンルームレスエレベーターNew SPACEL<ユニバーサルデザイン>』(2003年)のカタログには人物が描かれていますが、これも車いすなどさまざまな立場の人が利用するというユニバーサルデザインのもつ「機能」を紹介したイラストです。最新のカタログ『東芝マシンルームレスエレベーター SPACEL』(2021年)でも、シンプルなデザインでエレベーターそのものを前面に押し出したデザインになっています。

 前回に続きエレベーターカタログを振り返ってきましたがいかがでしたでしょうか。
 現行機種のエレベーターカタログは紙のカタログだけではなく、東芝エレベータのWebサイトからPDFファイルをダウンロードすることもできます。ぜひご覧になってください。

上は東芝マシンルームレスエレベーター New SPACEL<ユニバーサルデザイン>(2003年)、下は東芝マシンルームレスエレベーター SPACEL(標準形・オーダー形)(2021年)に掲載。