── 文房具の今後はどうなっていくのでしょうか。
昭和の終わりくらいまで、オフィスにある機械はOA(オフィスオートメーション)機器と呼ばれ、せいぜいコピー機とFAXとワープロ程度。基本的に事務処理や学習に使う道具はほぼ全て文房具でした。それがないと私たちは仕事も勉強もできなかったわけです。それが平成になって携帯電話やノートパソコン、インターネットが登場して、情報そのものをデータとして活用できるIT(インフォメーションテクノロジー)時代がやってきた。私は、この時点で文房具の仕事は終わったと思うんです。平成の約30年のうち、最初の10年で三種の神器(携帯電話・ノートパソコン・インターネット)が普及し始め、次の10年はノートパソコンの薄型化や携帯電話によるデータ通信が可能になったことで、外でも仕事ができるようになり、手帳がいらなくなってきた。そして最後の10年でスマートフォンが台頭し、令和になってコロナ禍の強制的なDX、オンライン会議の普及ときていきなり生成AI時代の到来です。書類のほとんどはデジタル化され、スケジュール管理も打ち合わせもオンライン。たった40年くらい前まで手帳がなくては仕事にならなかったビジネスマンが今やほぼ全員スマホを持っています。約5,500年前にメソポタミアで粘土板に文字を書いていた時から、ついさっきまでほとんどの情報を記録し、伝え、処理してきた文房具の仕事を、この40年ほどでデジタルツールにほぼすべて置きかえてきたわけです。私はこれを、「文房具がつい最近定年退職したんだ」と感じています。長年、それぞれの分野で類まれな能力を発揮して情報を整理し、伝え、さまざまな仕事を全部担ってきた文房具たちが、新人のスマホ君たちに、「あとは任せたよ!」と言って勇退していく。定年したんだからバリバリ仕事をしなきゃいけなかったところから解放された今、悠々自適に好きなことやっているわけです。ご当地インクとか、可愛いマスキングテープなんかがブームになったり。それらは効率という意味では別になくても困らないようなものかもしれません。でも、葡萄酒が生きるために必要な飲み物から、文化や教養を含む大人の嗜みへと変化したように、文房具もまた、人生を豊かにする嗜好品として、あるいは、クリエイティブな知的活動をおおらかに受け止めるキャンバスとして、活躍していけば良いのだと思います。文房具が要らなくなったというのではなく、差し迫った切実な道具としての役割がもう終わったからこそ、定年後は蕎麦屋でも始めるかってくらいに、気楽に楽しめるのもいいと思うんです。
── デジタルツールにはない文房具の意義ってなんでしょうか。
例えば、マウスをダブルクリックしたり、スマートフォンをタップしたり、そういう行動様式って誰かが決めたルールに従っていて、その道具を作った人が勝手に作ったルールです。このアプリの使い方はこうですというのも作った人のルールです。でもそのルールでは表現できないことや、ルールを逸脱した行為から生まれるクリエーションもあると思います。文房具はどんな紙にどんなペンで書くのも自由ですし、折りまげたって破ったってかまいません。教科書の端っこにパラパラ漫画を書くのも自由です。ルールが自分の手にある。というのが一つ。もう一つは、圧倒的な情報量の多さです。大阪関西万博では、多くの展示が液晶画面などに表示される「映像」だった中、何千年も前の石像やオートクチュールのドレスなどが記憶に残っているという人も多いと思うんです。それは、実在するリアルなモノの持つ強さがあるからじゃないかと私は思うんです。デジタル化というのは、現実世界を数値に置きかえて単純化することです。大事なことはほとんどデジタルデータでわかります。でも、本当は実在する物からはもっと多くのことが読み取れるからこそ、私たちは現物の圧倒的な存在感に感動します。手書きの文章を読んだ時、その人の気持ちを読み取ったり、毛筆で書かれたものを受け取ると恐縮したり感動したりしますよね。それは、私達が少ない情報からも相手のことを読み取ろうする力を持っているからなんです。だから本当に大切な気持ちを伝えたいときには、あえて紙の手紙を書いてみるのも実は効果的だと思います。また、今は学校でもモニターやパソコンの画面を見ながら授業をし、宿題もパソコンでやったりと、問題をノートで解いたり、板書の書き写しもしなくてもよくなっています。でも画面を見て分かった気になっていても、それを説明するとなるとできなかったりしませんか?知ったことを一回自分を通して考えをまとめ、アウトプットすることは、学習においてとても効果的だと言われていますし、考えを整理するときにも文字や図を自由にささっと書ける紙とペンは今でもまだ有効だと思います。今は、言語化ブーム・教養ブームです。これからは、単に効率よく情報を整理する仕事はどんどんAIに置きかえられる時代。自分の考えを自由にアウトプットできる癖を付けた方が今後の生き方としては有利かなと思いますね。
── 高畑さんの文房具の楽しみ方を教えてください。
たとえば、私は今でも年賀状を送っています。毎日のようにFacebookでやりとりしている人に、わざわざ年賀状で「元気ですか?」とかいう必要はもはやありません。だからこそ年賀状はデジタルにはできないことをやろうと。穴を空けたり、凹凸を付けたり、牛乳パックを切り貼りしたり、切り取り線を入れて紙工作にしたり、毎年楽しんで作っています。もちろん相手の住所と名前は、筆ペンで手書きです。住所や名前を書きながら相手のことを思うその数分間が、私は年賀状の意味かなって思っています。筆ペンで文字を書く練習になりますしね。あえて非効率なことを楽しみ、面白がれるのも文房具のおかげだと思っています。
水をはじく印刷を施した上にインクを塗った寅年(左上)や、牛乳パックを分解した丑年(右下)など、干支をモチーフに、ユニークな発想とアイデアで手作りした年賀状。
── 高畑さんをそこまで夢中にさせる文房具の面白さって、どんなところなんでしょうか?
文房具って、ちょっと分解すると比較的構造がわかりやすいんですね。ボールペンだと、カチカチやったら出たり入ったりするのはすごくよくできたバネ仕掛けが入っているからで、芯の先にあるボールがインクを転がりながら転写して書けるわけです。そういうところに人の知恵が入っていて面白い。デジタル機器なんかと比べるとずっと原理も分かりやすくて、目に見える。だから私は古い文房具とかを買ってきて、分解してみたりするんです。あぁなるほど、昔はこうだったんだなとか、作った人の思想が形に出るので、こう考えてこうしたんだなとか、そこに思いを巡らせてみたり。ある意味、書物を読むように文房具を読むのが好きなんですよね。

