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よくわかるエレベーターと建物のこと

感染症対策を考慮した新たな空間設計

図版提供:日建ハウジングシステム

新型コロナウイルスの感染拡大により、
今、住宅に対する新しい発想が求められてきています。
“家庭内感染リスクをどう減らすのか”
“プライベート空間とワークスペースをいかに共存させるのか”
などといった視点が必要となります。
今回は、医療施設の計画設計や環境設備計画に長年携わってきた
日建設計の伊藤昭さんに、感染症のメカニズムから
住宅に活かせる感染症予防対策や取り組みにまでお話を伺いしました。

伊藤 昭 ( いとう あきら )さん
株式会社日建設計 エンジニアリング部門
設備設計グループ シニアエキスパート/博士(医学)
東京医科⻭科大学・順天堂大学大学院 非常勤講師

1988年、早稲田大学修士課程(建築環境工学)を経て、日建設計に入社。以来、病院の建築・構造・設備を対象に、計画・設計・工事・運用段階における最適な感染制御に関する研究、および感染制御科学に基づいた医療施設の計画設計、サステイナブルな環境設備計画とエネルギー管理コンサルティングサービスに携わっている。2008年、順天堂大学大学院医学研究科(感染制御科学)博士課程修了。設備設計一級建築士、エネルギー管理士、CASBEE評価員、建築設備士。

感染症予防にはハードとソフトの両立が重要

──まず、感染が起こるメカニズムの基本を教えてください。

伊藤感染を成立させるためには「病原体」「宿主」「感染経路」の3要素が必要です。医療施設は、この3要素が街中や自宅より揃った感染リスクの高い場所なのですが、3要素中の「感染経路」を断つことに関しては、建築・設備の立場から寄与できるといえます。

──具体的な対策のポイントを教えてください。

伊藤感染経路には、接触、飛沫、空気の3つがあり、新型コロナはおおむね飛沫に分類されます。感染経路を断つ予防策には、3経路共通の対策と経路別の対策とがあります。
 共通の対策としては、手指を衛生に保つための手洗いやアルコール消毒、個人防護具(PPE)の着用が挙げられます。また、除菌しやすい環境表面を保つために、水平面の凹凸をなるべくなくしてほこりをたまりにくくしたり、微生物が繁殖しやすい湿潤環境を防止したりすることも共通の予防策に含まれます。経路別の対策になると、接触ではタッチレス化、飛沫では仕切りの十分な高さの確保、空気では個室収容や陰圧換気といったものが挙げられます。
 さらに上記経路別対策のうち、手指衛生と個人防護具の着用などの運用に関することはソフト面の対策に、タッチレス化や個室収容などの建築・設備に関することはハード面の対策になります。ただし、手洗い場や消毒用アルコールの設置場所は、利用しやすさを考慮した動線計画が求められるなど、ハード面の工夫が必要になります。
 現実には予算や医療体制など、医療施設ごとに異なった制約がありますので、必ずしもすべての対策を取り入れることはできませんが、ハード、ソフトの両面でバランスよく講じることで、予防策の最適化を図ることが重要です。ハードとソフトの両立は感染症予防でとても大事で、マスクを着けなかったり、病原体に汚染された水で手を洗っていたりしていては、いくらハードが揃っていても台なしになってしまいます。

感染経路とそれぞれの対策のポイント
図版提供:日建設計

──ワクチンや特効薬が普及した場合、どの程度の対策が必要ですか?

伊藤ワクチンや特効薬は重要ですが、それだけでは十分ではありません。1928年にペニシリンが出てきた時に、「これでもう感染症に脅かされることはない」と思われましたが、すぐに耐性菌が出現したこともあり、薬だけに頼った予防の難しさが明らかになりました。
 近年では感染制御科学の進歩が目覚ましく、病原体の性質が素早くわかるようになってきたので、予防・感染拡大防止への対策も早い段階で打てるようになってきています。多面的な予防・拡大防止策を図る必要がある、というのが現在における一般的なスタンスです。

自由に間取りを変更できるシステムが有効

──個人の住宅で具体的に取り組めることはありますか。

伊藤例えば高齢者居住施設では、感染者と濃厚接触者を各々隔離するスペースをレッドゾーン、厨房、食堂などの共用スペースをグリーンゾーン、その間のスペースをイエローゾーンと呼び、明確に区分けして感染の拡大を防ぎます。医療施設ではグリーン、イエロー、レッドの順に一筆書きにできるような動線計画がなされていますが、住宅でもそういった平面計画が実現できると理想的ですよね。
 また、住宅では家庭用の空気清浄機でもHEPAフィルター※1という高性能なフィルターを搭載したものであれば、10m2ごとに1台設置すると効果があるといわれています。扇風機やサーキュレーター、レンジフードやトイレの排気ファンなどをうまく併用して、換気を促すことも有効です。その場合、感染者にはなるべく換気場所に近いところにいてもらうほうがよいでしょう。
 それから、吹き抜けなどの空間を立体的に活かした換気も有効です。あるオフィスの計画で4層吹き抜けをシミュレーションで検証したところ、各階から効率的に空気を吸い上げられることがわかりました。こういった知見も、住宅の吹き抜けなどに応用できると思います。

 
注)取材時の写真撮影は、良好な換気状況を確認し、安全な離隔距離をとる等の感染防止対策を講じて実施しました。

※1 HEPAフィルター:空気を清浄化するエアフィルターの一種で、粒径0.3μmの粒子であっても99.97%以上捕集できるとされている。

──ほかにも住宅に活かせるノウハウはあるでしょうか。

伊藤住宅に応用できるものとして、総合病院の外来エリアのつくりかたがあると思います。外来エリアは外部から病原体を入れない工夫がされており、万が一入ってしまった場合でも、フレキシブルな間仕切りや多目的なスペースを使ってすぐに隔離できるようになっています。この考え方を住宅に活かし、簡易的な間仕切りを利用して柔軟に間取りを変えられるようにすると、住環境の衛生状態を保てるようになります。こういった柔軟性は、感染症対策のみならず、生活空間と仕事場をうまくゾーニングし、日常的な住み心地のよさを保つことに役立ちます。

──具体的にはどのようなものがありますか?

伊藤グループ企業の日建ハウジングシステムが開発した「ZIZAIKU/自在区」という、ニーズに応じて自由に間取りを変更できるものがあります。これは天井にインストールされた鉄板と、マグネット、アジャスターとの組み合わせでパネルを簡単に固定できる可動間仕切りシステムです。パネルには軽い素材が使われているので、力のない人でも簡単に移動させることができます。

間取りを自由に変更できる「ZIZAIKU/自在区」を活用した例1:
リビングの横にピアノ設置空間を設けた例
図版:日建ハウジングシステムのWebサイトからの引用

間取りを自由に変更できる「ZIZAIKU/自在区」を活用した例2:
プレイコーナーを設けた例
図版:日建ハウジングシステムのWebサイトからの引用

 三井不動産レジデンシャルと共同開発した扉付き収納ユニット「KANAU Shelf」も可動間仕切りシステムのひとつです。それに付属している昇降ハンドルを回すと、簡単に固定させたり、移動させたりすることができますから、住宅の中から間仕切り壁をなくし、間取りを自由に変更することができます。

「KANAU Shelf」は扉付きなので、大がかりなリフォーム工事なしで、自由に部屋をつくることができる
図版:日建ハウジングシステムのWebサイトからの引用
新規開発した感染対策給排気フード

 ほかにも、弊社のNikken Wood Labという木質・木材の開発研究チームが開発した「つな木」というものがあります。これは、平時は木製家具やルーバーとして使い、パンデミック発生時には部材を組み直してブース状の診療室や簡易個室に早変わりできるユニットです。クランプ(接続金具)で留めるだけの簡単な機構なので、2時間程度で簡易的な個室がつくれます。大きなリビングがある住宅では、こういったものを使って、リビングの中に個室をつくることもできると思います。

 
「つな木」を使って組み立てられる形態の例。国産木材の利用促進も目的のひとつとして開発された
図版提供:日建設計
子どもでも親と一緒に組み立てを行うことができ、
「木育」にもつながる
写真提供:日建設計

日本の環境共生思想と感染症対策

──3つの具体例に共通するのは「フレキシブル」ですね。

伊藤これまでご説明した換気・風通しのよさや間取りの柔軟性といった考え方は、日本の古民家における設計手法と近いものがあります。例えば、障子や襖といった建具は間取りを柔軟に変更することができますし、建物に沿って廻る縁側も一筆書きにできる動線になっていて、動線計画上大変優れています。さらに、窓の位置や開き方に関しても、風通しのよさが考慮されていました。先ほど例に挙げた「ZIZAIKU/自在区」などは、日本の古民家の設計手法を現代の住宅に応用した取り組みともいえるわけです。
 古くから日本にある、こういった環境共生思想に目を向けることで、現代の住宅における課題やニーズに対する新しい提案が生まれてくることを期待しています。

伝統的な日本家屋には、現代の住宅に応用できるヒントがいっぱい詰まっている(写真は江戸東京たてもの園にある高橋是清邸)
写真提供:江戸東京たてもの園(高橋是清邸)
江戸東京たてもの園は、江戸時代から昭和中期までの歴史的建造物を移築・復元した野外博物館

──本日は感染のメカニズムに始まり、医療施設における感染症予防対策や住宅に対する取り組みについてお話を伺うことができました。既設住宅ではなかなか大がかりなことはできませんが、いろいろなアイデアを組み合わせることで住み心地のよさと予防対策をうまく両立できることがよくわかりました。ありがとうございました。

空調について
伊藤さんからひと言アドバイス

弊社では現在、空調をどのように変えたらより安全になるかを解析するシミュレーション研究を進めています。天井吹出・天井吸込の従来空調と、一方向に空調する「かけ流し空調」を比較検討しました。さらに、かけ流し空調については、天井吹出・床吸込と床吹出・天井吸込の2パターンに分けて解析しています。
オフィスの中央に感染者がいたとすると、床吹出・天井吸込のかけ流し空調は、従来空調はもちろん、天井吹出・床吸込のかけ流し空調よりも、粒子発生位置から4m四方の領域に粒子が比較的多くとどまることがわかりました。つまり、床吹出・天井吸込のかけ流し空調は粒子を拡散させない点で有効であり、感染者の飛沫をきれいに排気することができます。
現在のエレベーターは、空調換気が稼働しているだけでなく、かご室での滞在時間が短いため、中でマスクを着用して静かにしていれば、あまり心配する必要はないと思います。その上でさらに、床吹出・天井吸込などのかけ流し空調を導入すれば、さらに安全性が高まるのではないでしょうか。

1μmの飛散した粒子がオフィスでどのように動くかをシミュレーションした様子。左は従来空調(天井吹出・天井吸込)、右がかけ流し空調(床吹出・天井吸込)の結果で、かけ流し空調の方が粒子が拡散し難く、より効果的に飛沫を排気できることがわかる
図版提供:日建設計

次回は「DXがもたらすライフスタイルの変化と建築・都市」です。
乞うご期待!