FUTURE DESIGN

FUTURE DESIGN 2016 vol.46

2016 vol.46 連載●お江戸の楽しい歩き方 第3回

第3回 本所深川周辺 師匠 地図研究家 芳賀 啓さん  門人&文 タレント/歴史作家 堀口 茉純さん(愛称:ほーりー)

時代小説の舞台へ!

今回は都営地下鉄浜町駅すぐそばの新大橋から散策をスタート。「江戸時代前期、隅田川には上流の千住大橋と両国橋しか架かっていなかったから、往き来がとても不便だったんだ。そこで徳川綱吉の母・桂昌院が架橋を提案して架けられたんだよ」と師匠。当時は今の位置より200mほど下流にあったそうです。
かつて橋があった場所のほとりには芭蕉稲荷神社が。俳聖・松尾芭蕉がこの近くの芭蕉庵に住んでいて
ありがたやいただいて踏むはしの霜
という句を残しています。
新大橋によって、西側の消費活動が盛んな日本橋地区と、東側の生産活動が盛んな本所深川地区がダイレクトに結ばれて、人や物の往来がスムーズになりました。これは当時の人々にとって、とてもありがたかったんですね。時代小説にもたびたび登場する、江戸のランドマークのひとつだった重要な橋です。現代のレインボーブリッジみたいな感じ!?

江戸の町を“津波”が襲った?

新大橋東側には歴史を感じる見どころがめじろ押し。大名庭園の雰囲気が残る清澄庭園、松平定信のお墓がある霊巌寺、タイムスリップ気分を味わえる深川江戸資料館、江戸三大祭の一角を担う富岡八幡宮などなど……。江戸時代には海岸線も近く、物資を運ぶ水路が張り巡らされていたため、シーサイドリゾートとして賑わった地域だったんですね。
一方で、高潮の被害を受けやすい土地柄でもありました。特に、寛政3(1791)年には“津波”と表現されるほどの大洪水が起こり、このあたりの住宅地が壊滅してしまったのです。これを受けて幕府は土地を買い取り、人が住むことを禁止。2カ所に「波除(なみよけ)の碑」を建てて警鐘を鳴らし続けました。
しかし、喉元過ぎれば何とやらで、明治以降には埋め立てが進んで住宅地化します。現在では海岸線が遥か南にせり出しているため、そんなことがかつてあったなんてまったく想像がつきません……。ボロボロになった「波除の碑」が災害の歴史を静かに物語っている気がしました。


今回の締めの一句

芳賀 啓さん 波除の碑文剥落花芯(しべ)の雨
 堀口 茉純さん 若葉映ゆ川面を滑る和船かな


このページのトップへ
お問い合わせ
  • 電話・FAXでのお問い合わせ
  • メールでのお問い合わせ
  • よくあるご質問